2018年02月21日

とあるボルドーワイン会〜その2

前回の続きです。

・トロタノワ
 かなり明るい赤。熟した赤い果実と、紅茶やキノコの熟成香です。味わいも色調や香りに似合っていて滑らかで柔らかい。かなり熟成しています。
 そして。短くて弱い。余韻があまり続きません。香りにしろ味にしろ、かなり大人しくなっています。2回目に飲んだあたりから劣化による酸味が早くも見えてきました。

 おい、どうしたトロタノワ。

 ですが。可能性レベルですが、想定の範囲内ではありました。ペトリュスのところでまとめて書きますが、状態が悪いわけでは、多分ない。

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 (写真がないと持たないので・・)

・ヴュー・シャトー・セルタン
 これまでのラインナップに比べ、明らかに濃い色合い。輝きのある深い赤です。
 しかし、最初に一嗅ぎ「して、おいどうした」第2弾かと思います。全く香らない。飲んでみる。味が無くはないけど全然華やぎがない。
 今日初めて、主催者が「晴国さん、どう思います?」聞きます。言いたい事はわかる。しばらく考えて、聞かれた以上腹をくくって「全く姿が見えませんが、状態が悪いわけじゃないようなので、ちょっと待てば開くのでは」と回答。自信なんて有りません。

 次のワインに行き、戻ってみて驚き。グンと開いて香りも味わいも膨らんでいます。やはりこれまでのラインナップと違い、香りに黒系のニュアンスが有り、果実を感じさせます。味はタンニンも堅いですが甘やかさも出てきている。まさか、言った通り開いてくれるとは。

 左岸に近い感じと言われる事に納得しました。がっちりとしていて(筋肉質といわれる)タンニンを感じさせ、赤というより黒の印象、確かに左岸を思わせます。「エレガント」とか「フィネス」とか言われるというのは、ちょっと判りませんが(汗)
 こういう事だったのかと個人的に納得です。それにしても不思議です。確かにCSを使っているのは極めて珍しいですが、10%。CF30%、M60%。ラフルールはCFとMで半々なんだけど、左岸的とは言わないでしょう・・・
 そうか、ラフルールも非常な長期熟成を要するって言いますね。もしかしたら、似ているのかも。そう言われてるの聞いた事ないけど。


・ペトリュス
 遂に御大です。やはり明るめの赤。照りがあります。ヴュー・シャトー・セルタンとこの後のル・パン以外は概ね似た色合いです。
 香りは複雑です。熟した赤系の果実、腐葉土、ほんのりカラメル。華やかに広がります。味わいは大きい中に滑らか、きれいな赤いニュアンスの果実味が広がり、紅茶の風味もあります。余韻も長い。
 ペトリュスはメルロが非常に多いワインで、その割に若い内には理解しづらいワインとして定評があります。82年は今開いていると言って良いでしょう。

 しかし。

 ペトリュスという格、82年ヴィンテージ、それにしては線が細くないか?もっと逞しさが有って良いんじゃなかろうか。
 まあそれは印象だとしても、気になるのは最後に残る厳しさ。タンニンというか、粗い酸というか、美味しさの中にネガティブさが残る。気になってしまいます。もっと完成されていて良いのではないか。

 そうするとまだ時間が必要かも知れませんが、果実系の要素などほぼ熟成のピークに思えるので、この後向上するのか、なんとも言えない。線は細くても、主ヴァル・ブランのようになってくれれば文句はないんですが。

 35年物のペトリュスを飲む機会なんて無いので、これが熟成として理想的なのか判りませんが、これだけ飲む限りでは「これぞペトリュスか!」と言い切れない物を感じました。

 そして、トロタノワの時に置いてきた話。「想定内」、ペトリュスも、可能性があると思っていたのです。

 もちろんこの日のトロタノワ、ペトリュスが、状態として完全ではなかった可能性も大いにあります。35年熟成ならタイミングが難しいのは承知しています。
 しかしもう一つあった。パーカーの意見に顕著なのですが、70年代後半〜80年代のトロタノワ、ペトリュスはスランプだったという意見があるのです。

 ボルドー第4版のパーカー評価だと、82年は除いて、ペトリュスは78年〜88年は最高で85年の88点、トロタノワは78年〜90年で90年の90点が最高、85年〜88年だとほぼ85点平均(87記載なし)です。ペトリュス82年は90〜98点で「当惑させられるほどばらつきがあった」。トロタノワ82年はコメントは大いに褒めているのですが92点。近年のように高得点連発じゃない頃を考えても、82年のトロタノワならもう少し評価が高くてもという気がします。

 ブロードベントはペトリュス82年星5。トロタノワは星4ながら「完璧にリッチ」。
 
 なんだ、パーカーのペトリュス以外は激賞しているじゃないか。確かにそうなんですが、ブロードベントでもペトリュスの方に気になる記述。「欲を言えば、わかりやす過ぎて・・・」。パーカーのトロタノワ評価にも、「みずみずしく、酸は弱い・・(中略)・・これ以上良くなる事はないはずだが、(あと10〜15年は楽々もつ)」とあります。

 パーカーの評価では両シャトーとも前後かなり長期間に比べて82年だけが良いとなっています。そしてこの先良くなるかは判断が難しいというニュアンス。ブロードベントの評価は、左岸が指標になりやすい傾向を踏まえなければいけないものの、既にピークと考えている(そのピークは長く続くかも知れないのですが)ように受け取れます。

 最終試飲は、パーカーが2002年、ブロードベントが2000年です(もう随分経ったなあ)。これを読んでいたので、へたりが始まっている可能性も有ると思っていたのでした。

 トロタノワは、「これが82年の姿かもしれないなあ」と思ったのです。ペトリュスの厳しさはちょっと意外でしたが、骨格を包む要素が落ちてきている状態なのかも知れないな、と考え込まずには居られませんでした。


さて、双璧のルパン、なのですが、次回に続きます。全体のまとめも書きたいので。。
ラベル:ボルドー
posted by harukuni at 21:46| 東京 ☁| Comment(0) | ワイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月20日

とあるボルドーワイン会〜その1

いきなり名古屋中断です。
とあるワイン会に参加しました。最近私の周囲ではものすごく珍しい、ボルドーの会です。

これが、私が参加した最高のワイン会の一つで、トップかもしれないくらい素晴らしい会になりました。

テーマは1982年の右岸。いうまでもなく20世紀の最上位ヴィンテージです。が、参加者の中には「いい年なんですか?」と質問する方も。本当にボルドー人気無いんだな・・
ついでに言えば、左岸も右岸も、赤は最高という評価ですね。白、特にソーテルヌはそれほどでもなかった。暑すぎたり、貴腐が付かなかったりが原因です。


さて、リスト。記載が無いのは1982年です。

ボランジェ グラン・ダネ (最初の泡)
レ・フォール・ド・ラトゥール (比較も兼ねて左岸)
Ch.シュヴァル・ブラン
Ch.オーゾンヌ
トリロジー (11,12,13年ブレンド。若い物を一本)
トロタノワ
ヴュー・シャトー・セルタン
ペトリュス
ル・パン

よくぞ揃えられたものだというとことから、まず感心します。そして同時に心配なのは状態と「真贋」。ペトリュス、ル・パンの1982は詐欺組織垂涎のアイテム。空ボトルが万単位で取引されると聞いています。

これが写真。事前に主催者が撮ったものです。上手だなあ。

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しかし参加しないで写真だけもらった可能性も出るので、会場で撮った空きボトルの写真を。お酒入った後だし、下手で情けない。

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最初から言ってしまうと状態も真贋も問題なかったです。正直驚きました。主催者ももちろん理解していて、安心してました。
ただ、露払いのボランジェだけがかんばしくなく、なんと リュイナール91デゴルジュに交換されました。これもまた、よく熟成していてとっても良かった。

さて。メインの感想を、供出された順に一つづつ書いていきます。長いので回を分けます。

・レ・フォール・ド・ラトゥール
 Ch.ラトゥールだとまだ開いていないことを考慮して、主催者がセレクトしました。これが大当たり。色は中くらいの明るい赤、ほぐれて滑らか、まだ若さも見せますが華やかで開いています。ボリュームたっぷり。
 途中まで、レ・フォールに他が食われてしまうかも、と心配になるほどでした。ただ最初に注がれて長時間グラスに有ったので、最後に味を見たら味が崩れ始めていました。1時間以上経っていたので、よく耐えたと言えると思います。

・シュヴァル・ブラン
 もう、超大物。飲んでみると、これも色は赤系でかなり明るく、香りも柔らかい赤系果実や、紅茶や腐葉土などの熟成香主体。味もとても柔らかい。
 シュヴァル・ブランの評価からすると少し構成が弱く、熟成が進み過ぎかと思いますが、ところが味わいが非常に長い。華やか、甘い風味。
 この長さこそ素晴らしいワインの証でしょう。シュヴァル・ブランとして典型的かどうかは判断できませんが、見事だと思います。
 人気投票では一位でした。納得すると同時に、確かにブルゴーニュに人気が集まるわけだよなと実感。とてもブルゴーニュ的な味わいでした。

・オーゾンヌ
 他のワインとは少し違う観点で興味がありました。そしてその点で大変貴重な経験になりました。状態はいいと思います。
 美味しいかというとかなり微妙。香りにも味わいにも鉛筆の芯=黒鉛の風味が強く、味に潤いが無いきつい印象。前後のワインと比較するとなおさら厳しい。
 じゃあなんでこれが状態が良いかというと、保存に由来する欠陥は感じられないからです。
 この頃のオーゾンヌは「ボディは強いけど固くて粗い」という評価が有るからです。80年代まで、評価が分かれるワインでした。参加者からも「当たり外れが大きい」という声を聞きました。
 その意味では当たりではなかったとおもいますし一度ではわからないんですが、わかるほど飲めないので、非常に貴重な経験だと思うわけです。
 
・トリロジー
 2011〜13のブレンド。当然若々しい。まだまだがっちりしています。若いル・パンもこんな感じなのかな。
 また、がっちりというのも他の熟成したワインと比較するからかもしれません。同じくらいの年数のポムロルと比べればしなやかかも。
 難しいヴィンテージ3つのブレンドですが、流石に物足りなさや粗さは感じられないですね。


次回に続きます。。。
ラベル:ボルドー
posted by harukuni at 20:11| 東京 ☀| Comment(0) | ワイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月15日

名古屋&付近の神社巡り@〜名古屋鳥居&物部守屋

この間の3連休、名古屋と一宮、熱田の神社を巡ってきました。そこで発見した事を、何度かに分けて書きたいと思います。

まずは駅を下りて最初に行った迦具土神社(中村区名駅2-42)での発見。もっとも、「発見」を確信したのは他をかなり回ってからです。

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次はこの写真。富士浅間神社、大須商店街のど真ん中にあって大変な人出です。
迦具土神社の写真と共通点があるんですが。

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角度が重要です。そして、3番目は揺るがない大社、式内日置神社です。

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ここは写真は違う方向に角度が付いていますが(歪んで見えるのは私が下手だから)、もうお分かりかと。鳥居です。鳥居が、石造の伊勢鳥居です。単なる神明鳥居ではなく、笠木が五角形なのが特徴。なので日置神社は判りづらいですが、端を斜めに切った角材なので、もはや確かめるまでもありません。


これが一つや二つならともかく、多数の神社で採用されています。最初の迦具土神社よりももっと小さい所にもかわいい伊勢鳥居が。なお細かいですが伊勢鳥居だと柱が直立しています。日置神社の正面写真で確認できますが、僅かに下が開いています。転びが付く、と言います。

石造で、転びが付いている点が伊勢鳥居と異なります。そこで勝手に「名古屋鳥居」と命名。一宮にも、熱田にも多数有りました。

名古屋の若宮八幡社や泥江縣神社(ひじえあがたじんじゃ)など、規模が大きい神社では通常の明神鳥居も多いですね。しかし出現頻度は極めて高いと思うので、名古屋鳥居と勝手に決めました。

なお、これがどこから来ているかは想像が付きます。今回は行かなかったので帰って写真を確認しました。やはりそうだ。熱田神宮がこの鳥居なのです。もっとも、熱田神宮は木造ですが。

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転びがあるのは、或いは、完全に伊勢鳥居になるのを避けたのかも、などと考えてしまいます。なお、今回は熱田神宮の境外にある重要な摂社、高座結御子神社と氷上姉子神社に行きました。高座結御子神社は石造、氷上姉子神社は木造でしたが、やはり「名古屋鳥居」でした。

やっぱり名古屋方面では神社の中心は熱田神宮なんですね。真清田神社は明神鳥居でした。意地かも。


あと、今日はもう一つ取り上げたいと思います。洲崎神社です。
住所は中区栄1-31ですがいわゆる栄じゃないだろうなここ。町名の栄の端っこです。でも古くから有名な大社で、前の大きい橋は洲崎橋です。私にはこちらの方が重要。明治になるまでは広井天王社という名前、津島系の大規模な天王社です。

境内社がたくさんあるんですが、気になる物が。「三霊神社遺跡」という大きな標柱が有り、立派な解説板もあります。

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それによると、江戸末期の文久二年(1862)、藩主徳川慶勝が命じて洲崎神社内に建立させた人神を祀る神社だそうです。「湊川神社をはじめ全国別格官幣社創建の先駆となった」とのこと。つまり、3人の人物の霊を祀っていたのです。なお、いつどうして「遺跡」になったのかは書かれていませんでした。

この三霊神社、祭神がちょっと不思議なのです。

中央に楠木正成、左に和気清麿。と来れば天皇ないし皇室を守った人物となりますね。尊皇思想から来ているのが明らかです。ところが、右が、物部守屋なのです。

え?逆賊になって敗死した側だよ?聖徳太子自ら倒したんだよ?楠木正成と正反対じゃないの。

これは誤伝で無い限り、極めて興味深い事です。以下の発想としか考えられないからです。

守屋は聖徳太子・蘇我氏連合軍に敗れて死んだ→蘇我氏はその後権力を握って天皇家(大王家)を圧倒した→蘇我氏は中大兄皇子達に誅殺された→蘇我氏と戦って死んだ守屋は、実は蘇我と戦った悲運の忠臣だった・・・

こういう筋道で考えたんだと思いますが、すぐ気付く大問題があります。聖徳太子の位置づけです。

これでは、聖徳太子は本当は逆賊だった蘇我氏と手を組んで忠臣を殺してしまった事になってしまいます。あの天才聖徳太子とした事が!良いんでしょうか。

恐らくなのですが、聖徳太子が仏法興隆の偉人だったことに関係があると思われます。蘇我氏と物部氏の争いも崇仏派と排仏派の戦いとされていました。そして、江戸時代の知識人で、特に尊皇攘夷運動や明治維新につながる人々は排仏志向が非常に強かったのです。だから維新後に廃仏毀釈が起きたわけですが、これまでに読んだ本の中にも仏教敵視が激しかったものの、聖徳太子の評価にはかなり困った(なにしろ押しも押されもせぬ偉人なので)という指摘を読んだ事があります。

物部守屋を神と祀って顕彰する事で、遠回しに聖徳太子の仏教興隆を、後世の判断として否定したかった、その意識が現れていたのでは無いかと思うんです。

流石に無理があったと思われ、現在物部守屋を祭神にしている神社があるという話は、寡聞にして聞きません。知らないだけの可能性もありますが、人神信仰の例で挙げられているのを見た事はありません。

聖徳太子否定までは行かない物の、排仏思想のパイオニアである物部守屋を顕彰したかったというのは考えられる事だと思います。その点、とても興味深い発見でした。
posted by harukuni at 22:46| 東京 ☁| Comment(0) | 神社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月06日

感動と驚きの対面、摩多羅神石塔

出会いはだいぶ前になります。

摩多羅神に興味を持ってすぐしたことはgoogle検索。そこで、摩多羅神の石塔の写真を見つけました。庚申塔を巡っている方のブログで「閑話休題」というタイトルで、庚申塔以外の興味深い石塔を掲載していました。「江戸時代の信仰に詳しい方からは驚かれました」と書かれています。神奈川県の旧津久井郡にあるのだとか。

本来ならこの時に見に行かなければいけなかったのですが、珍しいのは間違いないが、他にもまあまああるのだろうと思っていました。まだ取り憑かれていなかったし、その後読んだ山本ひろ子氏「異神」に「関東北部では福神として信仰されている」という記述が有り、その一つだと思ったのです。
って、いま「異神」を少し探したのですが、その記述が見つからない。勘違いかも知れません。

ところが、最近誤解では無いかと思うようになりました。時々ネットで調べますが全然出てこない上、あるお寺が掲載している情報で、千葉県野田市に摩怛利神の石塔が多数あるという情報を得たため、関東で信仰されてというのは野田の摩怛利神のことではないかと思うようになったのです。山本氏は「異神」の中で摩怛利神にも大きく紙幅を割いているので、間違うとは思えませんから、やはり自分の勘違いかな。

そうなると津久井の摩多羅神塔は極めて珍しい、もしかすると日本で現存一基だけの存在かも知れないのです。俄然この目で見たいという思いが募りました。せめて、どんな土地にあるのかを体感したいとも思ったのです。
即ブログにコメントを入れ、場所の教えを請いました。なんと、即返事を頂き、しかもとても丁寧に場所と、管理しているお寺の連絡先を教えて頂いたのです。感謝しても仕切れません。


そして、先々週の土曜日(1/27)、現地へ赴きました。現在は相模原市緑区太井565、大蔵寺本院です。ちなみに活動拠点として別院があるのでお間違いなきよう。

津久井湖の湖畔ですが、湖面から高い所にあって湖面は見えません。国道からはかなり下がったところで、ちょうどテラス状になっている所です。

この日は、月曜日に大雪が降り、まだ溶け残っているところが多い。お寺の周りも人が踏み込まないので雪がたっぷり残っています。国道から雪道を下ってお寺の入り口に着くと、傍らに地蔵堂があります。その隣に石造物が集められていて、そこに、見覚えのある角柱状の石塔があります。

少し遠いのではっきり見えませんが多分間違いない。でも短い距離ながら、雪は積もったときのまま残っています。躊躇は一瞬。思いついてコンビニで買っておいた(大正解!)軍手をはめて掻き分けます。

そして。

やっぱりこれだ!!

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えーっと、写真はかなり情けない仕上がりですね。言い訳すると、地蔵堂の影に入っていて暗く、周囲は晴天&雪の反射光たっぷりのため、私のコンデジはコンデジにしては最上位なんですが使う側が理解していないんで良い写真が撮れないんです。

先ほどから申し上げている、情報を頂いたブログ(「庚申塔探索」)の方がはるかに良い写真なので、ぜひ見てみて下さい。

さて、側面に紀年銘とか書かれていないか、確認。あっても私に能力が無くて読めない可能性も高く、期待しなかったんですが。これがとんでもなく嬉しい想定外!

まず、向かって左に建立者の名前がはっきりと書かれています。「角田福三忠義建立」

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これははっきり読めますね。

そして右側。その場で一生懸命読んで、「明治四十三年」「牛疫流行」まで読みました。そして、今このブログにアップするためにPC写真を見たら、何と全文字読めます。「牛疫流行殉難牛畜」(畜、はもしかしたら違うかも)です!

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写真撮影後、報告とリンクの許可を頂くため「庚申塔探索」に牛疫流行の件も含めコメントしたところ、旧津久井郡は神奈川県の牛乳の大供給地だったと教えて頂きました。碑文からすると病死した牛の慰霊に見えますが、慰霊し、再度の流行が防がれる事を願っていたのではないかと思います。

山本氏「異神」や斎藤英喜「荒ぶるスサノオ 七変化」によれば、スサノオを介して牛頭天王と摩多羅神は習合していたという事です。この日併せていくらかこのあたりの神社を巡りましたが、牛頭天王の石碑を複数見かけました。もちろん江戸以前の物かも知れませんが、結構新しく見えるものもあり、神仏分離後でも疫病防護の神として牛頭天王の信仰は残っていたのでは無いかと思います。

牛頭天王の験力が、家畜の病気に対してどう考えられていたかは知識が無いですが、あるいは人間とは違う病気を防ぐ存在として摩多羅神を想起したのかも知れません。明治も四十三年、広隆寺牛祭の知識があった可能性もあります。結構立派な石塔を一人で建てているのですから、富裕な農民で、こうした階級では結構学問が広まっていましたから。

他にないのかな、摩多羅神石塔。「日本石仏辞典」を見てみるか。

posted by harukuni at 22:14| 東京 ☀| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月31日

十三塚の発見〜石神問答より

遂にカテゴリを追加。宗教です。遂に泥沼に足を突っ込んだ気がする。。

「神社」で括れない話が余りに多くなってきたので新設です。その第一弾は十三塚です。

私は初耳だったから書いているわけです。
先日、遂に柳田国男の著作を購入してしまいました。石神問答。

ミシャグジ断念宣言をしたのになぜというところですが、実は石神問答が読みたいと言うより、初期の柳田の著作を読んでみたかったのです。理由は、かなり面倒なので詳しく書きませんが、最近読んだ他の民俗学の巨匠達の文献と比較という意味です。気になったんです。

柳田の著作はたくさん会って圧倒的に有名なのは遠野物語。今考えればこの方が簡単に買えたんだよなあ。でもせっかく読むなら道祖神とかの今興味があるもの、と思って石神問答に目を付けました。そうなると、ぜひ読みたいんですが、難関が有りました。現在買える物が限られるんです。

新刊書では筑摩書房の柳田国男全集第一巻だけ。現物を確認しましたが大きく持ち歩くのは困難。しかも1万円。しかもしかも、内容は「産業組合/農政学/農業政策学/後狩詞記/石神問答/農業政策/2補遺」で後狩詞記はちょっと気になるにしろ石神問答以外は興味なし。手が出ません。そうなると「日本の古本屋」で検索。

今日は、安くて魅力的な定本柳田国男全集十二巻2,800円也が出てますが、その時買える一番安かったのが、昭和16年に改訂再刊した創元社の本で3,000円ほど。「読むのには問題ない」状態、迷わず注文しました。
来た本は見事に茶色がかり、天地は完全に焦げ茶色ですが、確かに読むには問題ありません。それより戦前なので旧仮名遣いが不安でしたが、何故だか読めてしまいました。これも太田亮先生の賜物です。

前置きが長いですが十三塚。石神問答は書簡集です。調査を始めてまだ時間が経っておらず、柳田からの手紙は「こう思うんですがご意見を頂きたい」という物がほとんど。それに対して全部ではありませんが返信も乗せられています。同様に、断定調ではなく情報の追加とか意見とかですね。

こういう状態なので、気になる物を次々に取り上げています。最初に出てくるのがミシャクジで、石神説に異論を唱えるところからスタート。
そのほか道祖神とか「さえのかみ」を中心に、荒神、山神、姥神、八王子や大将軍まで登場。幅広いです。
脱線。近江の十禅師の祠を取り上げていて、日吉大社の十禅師社知らないのかな、とちょっと驚き。考えてみれば神仏分離からかなり経ち、しかも日吉は排仏が激しかったところだから情報が無かったんでしょう。後の方で「日吉の十禅師を知ったので撤回」してます。

その興味の一つに十三塚があるんです。かなり強く興味を持っていて何度も出てくるし、巻末に十三塚一覧が載るほど。十三塚は、実際に塚が十三並ぶ場合が多いほか、地名にも多く登場するとの事で、それをまとめています。
その一覧を見ていて驚きました。最近私が回っている横浜市〜川崎市、南武線と相模鉄道に挟まれた丘陵部に集中しているのです。北は仙台から南は大隅半島まであるんですよ、近畿地方は極端に少ないですが。あと一カ所北九州の筑豊から名前が知られた朝倉の辺りにも集まっていますが、密度で言ったら川崎・横浜が圧倒的です。狭い範囲なんですよ。

保土ケ谷、下菅田、北寺尾、二俣川、荏田(以上横浜市)、野川、久末、末長、長尾、上作延、溝口(以上川崎市)。さらにいうと南北に分かれてますね。鶴見川と帷子川に挟まれた横浜市域と、溝口を中心とする多摩川に近い川崎市域です。まさに最近回っている辺り。

十三塚を古墳と考えがちだし、そう考えれば簡単なんですが、そうはいかない点があるので柳田は気にしている。丘陵の頂部に並ぶ事が多く、幾つか発掘されているが埋葬のあとが出ない。墳墓ではないというのです。しかも、十三という数が普通の古墳とは違う上、塚の数が十三でなくても十三塚と呼ばれている所もあるのです。削られた結果かも知れませんが。

やりとりの相手の山中笑から十三仏の可能性も指摘されていますが納得できず。恐らく一番気になったので、巻末に表を付けたのでしょう。

Wikipediaで見てみましたが、やはり不明とのこと。埋納品に乏しく、「銭などの表面採集が多い」と言う事で、柳田翁のモヤモヤも晴れないと思いますが(1948年に堀一郎と共著で「十三塚考」を出版)、私には驚く事が書かれていました。

「神奈川県川崎市宮前区 - 五所塚、五所塚第1公園内に現存。直径4m高さ2m前後の塚が南北に5基並ぶ。」

あ、あれだ!あれが十三塚なんだ!!

登戸駅からバスで行き、そこからかなりしんどい坂を登った長尾神社の隣に公園がありました。そこに塚が並んでいます。

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写真では4基が精一杯ですが、もう1基有ったはず。見つけたときかなりびっくり&不思議でした。5基きれいに並んでいるのが、古墳っぽくなかったんですよね。説明は、解説板を見落としたのかな。それで地名が「五所塚」だったんですね。今わかった。

不思議な縁ですよ、全く。でもまあ、これ以上はおよそ判りそうもないし、十三塚は心に秘めておきましょう。

posted by harukuni at 20:34| 東京 ☀| Comment(0) | 宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする