2018年04月10日

東急ドイツの回〜見事なシュペートブルグンダー

先日のカウンターはドイツ。最近年1回くらいやってます。

ドイツのシュペートブルグンダーは近年非常に出来が良くなっていると思います。冷涼感をしっかり持ちながら果実も豊か。3000円くらいの価格帯から良いものが手に入るので、高騰して手に負えなくなつつあるブルゴーニュから乗り換えるなら、有力候補だと思います。

毎回ヘレンベルガー・ホーフの詳しい方が解説に見えます。その方によれば、近年の品質向上はクローンの切り替えが進んだ事にあると言います。元々はドイツ・クローンという粒が大きく多産のクローンが使われていて、だから薄ーいワインになっていたのがディジョン・クローンなどの高級ワイン系のクローンへの植え替えが進んでいるとの事。その成果という事ですね。

ベッカーやフーバーなどの常連組はもちろん良かった。今回は新しい生産者が二つあり、バーデンのフランツ・ケラー(Ftanz Keller、ヘッセンの有名な生産者とは関係なし)、もう一つはアールのジャン・ステューデン(Jean Stodeen)です。

ケラーはバーデンの南部、カイザースツールの生産者だそうです。バーデンの中ではかつて非常に有名だった地区ですが全く聞かなくなった。そこの生産者という事で興味深い。エレガント系ですがボディはしっかりとしていて非常に好ましい。
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一方のステューデンがあるアール(AHR)はドイツのワイン産地では最も北に有りながら、昔から例外的に赤の産地でした。もっともそこでロゼみたいな赤が作られていたのですが、飲んでみると果実味が強く、ヴァニラの印象もあります。
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アールは以前から有力な生産者も現れていて、シュペートブルグンダーの産地として名前が上がっていますが、ここまで豊かなタイプは飲んだ事がありません。非常にレベルが高いと思いますが、グラス4,500円で値段もかなり強気です。飲んだアルテ・レーベンは恐らく最上のキュヴェ、棚にはもっと親しみやすい物も有りました。

最後の締めくくり。ラッツェンベルガーのアイスワイン、2002年。バハラッヒャー・クロスター・フロステンタール(原文省略)。近年の上位生産者はこういう村名+畑名の記載は上位キュヴェに限る傾向があるそうです。

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ものすごい残糖と酸度だそうです。まさにその通りでとても甘いながら酸が強いためべたつきは全く感じません。2002年とかなり時間は経っていますが、全然古いという感じもしない。これも酸度の高さが大いに関係しているでしょう

見事極まりなかったですね。幸せでした。
ラベル:ドイツ
posted by harukuni at 21:04| 東京 ☀| Comment(0) | ワイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月06日

聖なる所に参ること・向き合うこと

昨日ブログを投稿後、思ったよりたくさんメディアで「舞鶴事件」についてコメントが出ている事を知りました。なので早速追記しようと思ったんですが、職場の行き帰りで昨日触れた「湯屋の皇后」を読み進めて、心を揺さぶられる文章に出会ってしまったので、そちらについて書かずにいられない。

「湯屋の皇后」は、論文集ではないものの専門書です。かなり難しいです。そういう本を読んで忘れられないような思いに駆られるなんて、まずないし著者も期待していないでしょうが、たまに出くわします。忘れもしない初めては、30年前に網野善彦著「日本中世の非農業民と天皇」を読んだ時。序文でした。

「湯屋の皇后」は昨日も書いた通り中世の女性の性と中世の聖なるものの関連を論じています(副題をちょっと補足しただけ)。第二章、「女人禁制と推参」の末尾、「推参する女」の章の結語ちょっと前にありました。長いですが引用します。

「参」*という言葉が、基本的に<聖なるもの>へ人が赴き向かうことを意味しているということには、実に豊かな示唆がこめられている。参詣とか参籠とかいう成語の周囲にも、すべて仏神の坐します聖域へ参入する畏れにも似た気配があたりを充たしている。「参る」こととはそれゆえに、霊地や霊場へ人がおのれを棄てて向かい合うことである。それは、そこれ<聖なるもの>のあらわれ(示現・顕現・感得)に出会うことであり、ひいては人間の存在の根源をたずねる営みであろう。そこから人間の生のありかたも認識も関係も、そして社会も、すべたがあらたに在らしめられる。
*「まゐ」「サン」2つのふりがな。ブログ主記す

「参」という言葉が、基本的に<聖なるもの>へ人が赴き向かうことを意味しているとは、元々参という言葉自体に貴い人の前に出る意味があると、章の中で示されています。「今から参ります」は現代でも丁寧語ですよね。かつてはもっと恐れ多い意味があったのです。

「推参」、訓読すると「おしてまいる」です。この場合の「おす」は、強い意志を持ってと言う意味だと著者は述べています。無理にと言っても良いかもしれない。貴い存在、その頂点である仏神の前に、禁じられている女人が「参る」姿や、その意義を述べているのです。
(こんな要約じゃ全然不足なのは当然ですよ)

上の文を読んで心を揺さぶられたのは、ここまで読んできたからに他なりません。ここだけ引用してもなんのこっちゃだとは思いますが、いきなり卑近になりますが神社を参りまくっている私には胸に響くものがありました。

入って挨拶もせずに写真を撮りまくり、ガラス越しに中を写し、境内をうろうろしまくって言い訳程度にお賽銭を入れてさっさと立ち去る。そんな私でもちょっとは敬意を、畏怖心を持ってるんです。名古屋を5時間歩き回ってひたすら神社の写真を撮り回る時、少しながらも崇敬と尊重の心を持っているつもりです。籠神社を祀ってきた人の気持ちに少しでも近付けたら嬉しい。街角の小さい神社でも変わらないんじゃないか、そう思って見つかる限り歩き回り、カメラに収める。信仰心はありませんが、神社を訪れる事それ自体に喜びは感じています。

上の文はあくまで中世の人の思考を考えているのであって(「あらわれ」の部分、現代では全く出ない言葉)、いきなり今の神社仏閣に参拝する人に当てはまるわけ無いです。それは十分理解しているつもりです。敢えて言えば、この文章を読んで心が動く事が喜びなのかも知れません。

私がパワスポ関係を嫌う理由もちょっとわかった気もします。あまりにも安っぽいからなんだろうなあ。苦行しろとなんて言わないけども。

土俵って、そこで相撲を取る人と、周りで見ている人を、簡単に同列に論じてはいけないと思います。


「湯屋の皇后 中世の性と聖なるもの」阿部泰郎著 名古屋大学出版会。引用は147頁。
posted by harukuni at 20:27| 東京 ☁| Comment(0) | 神社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月05日

相撲界が震撼するほどの・・・・?

朝、ニュースをちらっと見ただけでしたが、よく考えてみると大事件が起きていました。大相撲に関する事です。

水曜日、舞鶴巡業の際市長が土俵に上がって挨拶をする、その時に倒れてしまいました。くも膜下出血だったそうです。
当然関係者が駆け寄ります。その中に女性がいたのです。

報道ではその女性が真っ先に心臓マッサージを施していたそうですが、その時アナウンスが入りました。「女性は土俵から降りて下さい」

救命活動中に降りろというアナウンス。当然問題になりましたが今回相撲協会の対応は早かった。今日の午前中に八角理事長が謝罪。
この謝罪、危機管理的には満点クラスのはず。全面的に謝罪し、理由を「アナウンス役の行司が動転したため」とし、慣れていないので対応を誤ったと言外に匂わせるが説明はしない。まして「女性は禁止なので」とか言わない。言い訳と取られると事態が悪化するだけだからです。世の中は謝った事で納得するし、それ以上突っ込めないんです。
(経験値が高いから?)

それもあってか大きな騒ぎにはなっていない様子。市長がすぐ意識が戻り、救命に感謝する旨のコメントを発表するほど様態が良かった事もあるでしょう。

しかし。ここで相撲の女人規制についての議論が・・・

起こらないでしょうね。


いま私が読んでいる本が中世日本の女性について書いた本で、しかも現在の章のタイトルが「女人禁制と推参 トラン尼伝承と結界侵犯の物語をめぐりて」。推参とかトラン尼は気にしないで下さい。本は「湯屋の皇后 中世の性と聖なるもの」阿部泰郎著。まさしく女性と聖性について真っ正面から取り組んだ本なのです。私もほぼ初めてのテーマでかなり圧倒されているその最中。信じがたい偶然です。

本は副題の通り中世がテーマです。歴史にしか出てこないような様相が、一昨日の舞鶴で起きていたのです。

土俵の女人禁制については流石に報道でも触れられているので繰り返しませんが、一つ記憶を補足。ブラタモリの東京時代に両国国技館を訪れ、タモリは土俵に触らせてもらっていましたが久保田アナは「済みません、ダメなんです・・」と、触れる事すら禁止。事故がないようにか、久保田アナは離れていました。

ブラタモリでは、玉ノ井親方(元大関栃東)が土俵を作る時に中に米などの神饌を収める事を説明し、「相撲はスポーツじゃ無いんです」と説明していました。そう、相撲は神事なんです。単なる伝統じゃ無い。

しかし、神事には女性は関われないんでしょうか。


とか言い出すと大変な事につながる。パンドラの箱、しかも超巨大な箱が開きかねない。皇位継承です。女系天皇を巡る議論がありましたね。悠仁親王がお生まれになり、論者全員が安堵したんじゃないかと想像しています。


非常にセンシティブな問題で、古代史から宗教学、はては最先端の医療技術まで巻き込む大議論になりかねません。現在のマスコミに、直接には関係しないのにそこに踏み込む心構えは無いでしょう。貴乃花事件なんて代物では無いんですよ。

一応個人的には、相撲に関しては土俵だけの事なんだからこのままでも良いじゃんという派ですけどね。中世の結界に比べたら、無いに等しいよ。



もう一つ、案の定ですが「人の命よりも伝統をとったことに恐ろしさを感じる」とかいうコメントがあったとネットのニュースに紹介されていますが、この瞬間に一番苦しんだのは(市長本人を除けば)アナウンスした行司だよ。その位ちょっと考えればわかるだろ?もう少し頭を使いなさい。議論にすらならん。


あとさあ。。上のコメントを紹介しているハフポストの記事(こちら)、取り上げる勇気は認めるが何じゃこりゃ。
1978年5月、こんな事件があった。小学生の「わんぱく相撲」東京場所・荒川区予選で小学5年の女児が優勝したが、国技館(蔵前国技館)で開かれる決勝出場を日本相撲協会が拒否した。背景には「国技館の土俵は女人禁制」という「伝統」があったとされる。
当時、労働省の森山真弓・婦人少年局長が協会側に抗議したが、結論は覆らなかった。
それから約10年、意趣返しのような事態が起こった。第1次海部俊樹内閣で森山真弓氏が女性初の官房長官に就任。1990年初場所で、首相の名代として「初場所の優勝力士に内閣総理大臣杯を手渡したい」と申し出た。
ところが、当時の二子山理事長(元初代横綱・若乃花)が「土俵に上がっての大臣杯授与は遠慮してほしい」と要請。森山氏側は断念した。

意趣返しじゃ無くて、女人禁制を維持しただけだろ?そこで官房長官を認めて小学生を拒否する方が余程たちが悪いじゃないか。くだらないコメントを挿入するから馬脚を現す。

下の部分を読むと、この記者の馬脚がより一層明確になる。
大相撲でも土俵は「神聖」なものとされ、「女人禁制」とされてきた。だが、古文書を紐解くと、女性と相撲は深い関わりがあるようだ。
日本史上初めて文献に「相撲」が登場したのは『日本書紀』の雄略天皇期の部分とされ、そこに「天皇が采女(うねめ。宮中の女官)を集めて着物を脱がせ、褌を締めさせ、みんなの前で相撲をとらせた」という内容の記述がある。

女性を裸にして見物し、辱めを受けさせたっていう、雄略天皇の乱暴性を示した節なんだよね。相撲と女性の(前向きの)関わりなんて意味じゃありません。きちんと紐解いていればわかるでしょ??

伝統だの慣例だけで無く信仰としての意味合いもあるとか、上記の女児を土俵に上げなかった理由を女人禁制とはっきり言っていないとか、宗像の沖の島や明治以前の富士山・比叡山を取り上げているところとか、きちんとした事も書かれているのに台無しです。

記者さん、「湯屋の皇后」でも読んで続編(前稿の一部修正含め)をぜひ書いてもらいたいです。日本書紀もだけど、速読なんて出来る本じゃないけどね。
posted by harukuni at 20:59| 東京 ☁| Comment(0) | 宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月04日

意外な大差、サン・プレフェール

初めて飲むわけでは決して有りませんが、そんなに飲む機会も無いサン・プレフェール。シャトーヌフ・デュ・パプです。赤も良いですが白も美味しい。

白には2種類あり、特別な名の無い白と、「キュヴェ・スペシアル・ヴィエイユ・クレーレット」(Cuvee Speciale Vieilles Clairettes)。これを並べて飲めるのがカウンターならではです。

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ヴィンテージは、「白」が2016年、クレーレットが2015年。1年違いますが、とてもそれだけとは思えないほど味が違います。ヴィンテージの個性もあまり違わないとは師匠の言。白は色が淡めでどちらかというときりっと引き締まって筋肉質な印象ですが、クレーレットは色も黄金系だし味わいも豊でクリームやヴァニラの印象があります。

普通、白だと私は引き締まったタイプが好きなんですが、このクレーレットは好みです。豊かだけど重すぎず、余韻がきれいに感じられるところがとても良いですね。

しかし残念ながら2つ問題が。

マグナムしか作らなくて、高くなるし保管も手間である事と、キャップがかっちかちの蝋であること。どちらかだけならまだしも、ダブルパンチです。


でも美味しいですよ。以前、買っちゃいましたから。

ラベル:ローヌ
posted by harukuni at 20:46| 東京 ☀| Comment(0) | ワイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月02日

名古屋&付近の神社巡りC〜天王社雑感

ちょろちょろ書いている名古屋神社シリーズ。そろそろ終わりかな。

名古屋から名鉄津島線で終点の津島駅に行くと、津島神社、元の津島牛頭天王社があります。
牛頭天王社は明治の神仏分離で改称させられ、有名な京都祇園の牛頭天王社は八坂神社になりました。八坂神社は日本中の牛頭天王社の元締めですが、別の系統が有ります。津島牛頭天王社がそれです。(別系統というのは私の勝手な認識ですが、かなり独特なのは間違いないと思います)

津島神社、もちろん名古屋にもあるだろうと思って地図を見ると、予定範囲ではその名前の神社は2つしかないし小規模。八坂も含め、それらしい名前の神社は他に見当たりません。

そこで現地へ赴くと、ありました。立派な神社でした。栄の洲崎神社、丸の内にある那古野神社が牛頭天王社でした。

洲崎神社は現在の境内はそれほど大きいわけではないですが、とても立派な幟や鳥居、いろんな「アイテム」がこれでもかと詰め込まれた境内を見れば、大いに賑わった神社であると想像がつきます。

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前からだと本殿の規模がわからない。脇が駐車場だったので回り込んだら見えました。でっかいです。ただ、表から覗いた拝殿はせいぜい奥行きの3分の1くらいです。幣殿が大きいのか?謎の構造です。

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脇にはやはり龍神社がありますが、規模が大きく幟が林立。境内入り口にも大きい看板が出ています。白龍龍寿社で、白龍・龍寿の2社を祀っているようです。

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最初に書いた不思議な三霊神社はかつて洲崎神社内にあり、境内の道祖神は本体は普通サイズながらでっかい鳥居(洲崎神社本体の鳥居より一回り小さいだけ)があって、肝心の天王社よりも境内社が気になってしまいますが、もちろん江戸時代には大いに栄えたそうで境内に当時の絵図が掲げられています。

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那古野神社は広大な敷地を持ち、鳥居、灯篭、摂末社など多数。整然とした実に立派な風格です。境内規模は、周囲がビジネス街という立地も大きく関係してるだろうな。

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元は名古屋城内にあり、築城の際に家康が神籤で神意を伺ったところ遷座不可と出たのでそのまま城の鎮守としたそうです。明治9年に現在地に移りました(市教委解説板)。

どちらも尾張徳川家との縁が深いそうで、那古野神社は明治に分離した名古屋東照宮と並んでいます。尾張藩と津島牛頭天王社の関係は不勉強にしてわかりませんが、相当重要視されていたのでしょう。

でも街中に無いな、と思っていたら、前に書いた通り屋根神には熱田・津島・秋葉がセットになって祀られていたと知りました。

大須に小さい神社が有って地図に「熱田大神宮」と出ていました。額には、熱田大神宮・津島神社・秋葉神社とあります。これも屋根神起源でしょうか。大きい日置神社境内にも三社セットがありました。かなり定着しているようですね。一杯あったんだ。


愛知や岐阜では天王社であれば津島の確率が高いでしょうが確実とは言えない。こういう時、洲崎社や那古野神社のような大社で津島と断定できる要素が有ります。

摂末社に「弥五郎殿」社があれば津島と断定できます。弥五郎殿社は津島牛頭天王社の地主神で、津島固有だからです。

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そんな規模じゃない場合、通常は神紋で判別できる可能性がありますが、祇園と津島は同じ五瓜に唐花。牛頭天王は同じなんですね。

最初に書いた市内の小さい津島社。津島社の根拠は地図の表記だけですが、神紋があったので牛頭天王社である事には間違いないですね。輪宝が並んでいるのが神仏習合っぽい。

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そもそもあんまり神社に見えませんが、実にクラシックな風合いで、こういうの好きですね。塀とかちょっと危なっかしいけど。門扉に鍵がかかっていて、お賽銭を入れられませんでした。


ついでに。神社に見えないと言えば、名古屋東照宮の本殿。

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空襲で焼失し、藩祖徳川義直の正室高原院の霊廟を移築したそうですが、ここまで神社に見えない本殿も珍しい。奈良の大神神社の摂社、若宮神社と双璧でしょう。あちらも元々寺院ですが。慶安4年(1651)の建立で、県の重要文化財にも指定されているとのこと。一見の価値ありです。
posted by harukuni at 21:08| 東京 ☀| Comment(0) | 神社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする